昭和47年 8月24日 夜

 筑水連合会。ただいま何か通知が来とりましたから、開いてみたら、今度、30日、31日、2日間に渡って、久留米教会で教会長の協議会あるわけなんですね。私に代わって、若先生がいつも出席するわけですけれども、今度、合楽風のごひれいということがね、問題になりましてね、その取り分け、例えば、未信者に対するところの布教といったようなものを、どういうような方法を、でやっておるかを話してくれという、まぁ、大変難しいあの、ことだそうです。
 で、親先生、この頃からお取次ぎを頂いてから、特別取り分け未信者に対して、こういうようなってことは、別にないのですけれども、そのことを色々話して、その筋になるところを出して頂いて、それを各教会長に配って、で、そのことを話してもろうて、それを検討して、そしてそれから、まぁ色々細かいところに質疑応答といったような形になるらしいんですよね。
 それを、この頃、親先生が出したと言いよったのが、私はようと知りませんでしたけれども、こんなことを書いて出しておるのが、ガリ版刷りのようなものになって、今日ここに届いているわけです。ここにはね。
 だから、各教会にこれが行ってるわけです。このことの中に、うーん、まぁ色々、ここのいきかたというものが大体書いてありますから、ちょっと読んでみましょう。少しですから。
 「未信者に対する布教について。問題提起になるか分かりませんが、合楽教会では未信者に対する、特別な働きかけをやってはおりません。強いて言えば、本部から出ている金光教案内のパンフレットに合わせて、助かりたい人へという見出しで、お金に不自由している人、病気で苦しんでいる人、人間関係で悩んでいる人等が、等々ですね。
 というような、チラシを入れて○少会員により、街頭配布をやったことがありますと。全然効果がなかったわけではありませんが、大した影響はなかったように思われます。ただ教会における、現在の信者の入信の実情から言えば、やはり、おかげを受けたものが、次から次へとお導きをしていったということです。
 主人であれば家内へ、子供へ、そして、親戚へとその周辺に、伝え広がったということです。未信者、あるいは旧信者が初めて教会に参拝してくると、取次ぎ者は、取次ぎ者自身の信心実感を伝えること。
 今、有り難いと思っておることを、取り次ぐこと。そこから親神様への、信心の道付けを付けてやること。この場合に、先祖の御霊を大事にすること、親を大切にすることを必ず伝えること。
 教会長は常々、親に不幸したい子供はおるまいが、孝行したくてたまらんという子供も少ない。まぁ、親に孝行してみなさい、先祖を大切にしてみない、そこから親神様との交流が始まる。
 おかげのしるしが見えたら、また、おいでなさいというような教導をなさる。それから、なお未信奉者に対する教導は、大急ぎでの傾向がみられる。さらに、教導の上に信心することは、御理解第3節「願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせと」あり、初めての参拝者には、神の「 ? 」にかけて、おかげを授けると言われ、これが神様の働きじゃろうな、というしるしが見えたら、出て来いという教導をなさっておられる。
 教会長の日常を見ると、いつもどういう信心をすれば神様に喜んでいただけるかということを、明けても暮れても考えているように思える。真の信心とは、真の信心とはと求めて止まぬものを感じる。
 そして、ここ十年近く、真の信心とは成り行きを大切にすること、と言うておられる。神様を大切にするというが、神様のお働きそのものを大切にせずして、神様を大切にしているとは言えない。
 事柄によって改まり、問題によって本心の玉を磨いていく、そこに神の愛を悟ることができる、とも言われる。最近では、和賀心時代を創るという方向で、これを神の悲願として神願成就のため、神様の手となり足とならせて頂くのが、私どもの使命であると言われておる。そのことが、そのまま未信者への布教と言えるのではあるまいかと。」といったような、まぁごく筋ですから、これにはまたずいぶん質問があることでしょうし、また、それに応えなければ合楽で言っておることは、分からないと思うんですね。こげんなことを、まぁ、お話しをするということだそうです。
 ここの中でね、ここに申しております、とにかく先祖様を大事にしなさい。親を大事にしなさいということを、初めて参って来た者に、これは必ずというほど、また、私自身そうでしたね。
 やはり、おかげを頂くというためには、おかげのルートというものを作ってあげなくてはいけません。神様と人間との間に、それにはこれだけなら、必ず分かるだろうと私が思うから、親に不幸しようというような子供はおらんけれども、親に孝行したくてたまらんというような心を一つ作れと、こう。
 または、ご先祖が御粗末になってやしないか、帰ったらご仏壇のお掃除でもさしてもらいなさい。お花でも生けさせてもらいなさい。冷たいお水でも、熱いお茶でもお供えさせてごらんなさいと。そこから、あの神様がお喜びになる証拠に、一つの道が開けるんだというような、教導をするわけですね、初めての方。
 そして、問題はおかげを受けて、有り難いと言うてお礼に出て来たところから、だいたい理解申して聞かせという、あの信心の道を説くというのが、ここの、まぁいき方なんですけれども。
今のここん中にもありますように、今日は熊谷さんのところの、お母さんですね、姑親に当たられます、の今日はお命日であった。だから、朝からお届けがしてありまして、今晩の御祈念に併せてから、ご挨拶をして、申してくれということでございましたから。
 ちょうど昼の奉仕しましたら、久富先生が、色々お寿司やらなんやら、お供えが今日ちょっと用意してきてあるわけですよね。だから、先生のところでは、はぁー、親先生が四時にしなさるなら、夕御飯にこのおご馳走頂きなすってよかろうと、まぁ、思いなさったからでもありましょうけれども、四時の御祈念なら、四時の御祈念に併せて、してもらいなすったらどうですかと、いうようなことを言われたらしいんです。
 けれども、ちょっとその、朝の時、朝の御祈念の後に、そのことを熊谷さん自身お届けしてございますからね、だから、私はあの、まぁー、今晩、ご挨拶しますからということを、お取次ぎさして頂いとるから、それは今晩じゃなかいかんと言うて、私は、あの、今晩させて頂いたわけですけれども。
 この辺のことは、微妙なことですね、例えて、言うならばね、お客さんに夜の8時と言うて案内しといてから、もう4時に、何もかも片付けとったというなら、「   ?   」ということになるじゃないですかね。
 そげな実意のないことがあるもんですか。取分け、御霊さんの関係なんか、あの式年祭なんかの日にちを、ある都合で変えるような場合がありますよ。だから、できるだけ、そのままであるならば、天地の親神様の働きというものは、もう何月何日は誰々の式年の御霊、お祭りだからという、ちゃんとご配慮があってるわけです。
 ですけれども、それを早めたり遅めたり、やっぱ前々から、そのことをお届けしておかなければ、神様にもご都合がある、御霊様にご都合があるということ。そんなわけで、今日はあの、親先生にということでありましたけれども、朝8時の御祈念に併せてというてあるから、8時にするというて、ただいま、「 ? 」先生がね、当番でしたから、おかげ頂いたわけですけれども。
 うーん、これは初心の者に対してですら、先祖を大事にするということが、神様の機感に叶う喜びが頂けれる。そこから、こう道が開けると言っておるくらいですから、信心さして頂く者は、一段そこんところがね、いわゆる思いが込められる、そこに御霊様へとの交流。または、神様へとのおかげの道が交流するといったようなことを、考え合わせてですね、そういうことだということが分かりますですね。どうぞ。